父の死


死までの期間

2022/12/04に父が亡くなった。

元々色々な病気を持っていたので、何が死因か分からない。肺癌もあったが、腎臓に加えて膵臓も悪く、体内の毒素を排出できないことが衰弱に繋がったと思われる。

ここ半年ほどで一気に衰弱してしまった。2ヶ月ほど前は頭の回転が鈍っているような感じであり、まともに食事ができなくなっていた。そこからが早かった。

命日の1週間ほど前に緩和ケア病棟に入院し、実質これは治療不可のため、死を待つ最後の時間を過ごす病棟である。

最後の1週間はほぼ毎日見舞いに行ったが、医者の宣告通り3週間も持たずに亡くなってしまった。

病院から呼吸をしていないので死期が近いという連絡を受け、到着した時にはおそらく既に亡くなっていたとは思う。ただ、まだ体は温かくて、それから次第に冷たくなっていった。もしかしたら間に合ったのかもしれないし、そこは分からないが、あまり苦しんだ様子はなかったので、そこは良かったのかもしれない。

死後

しばらくして当直の医者が来て死亡の確認を取った。

葬儀屋は決めきれていなかったので、病院経由で手配してもらい、最終的にそこに決めた。

死後2日ほどは葬儀屋と打ち合わせなどが軽く発生し、決め事や連絡などで忙しかった。尤も私より母の方が忙しかったが。

葬儀

葬儀は家族葬の1日葬とし、親族のみで集まった。

叔父や叔母、従兄弟、私の義理の両親など。

昼過ぎに開始したが、食事は用意すればよかった。思ったよりも長丁場だし、食べてから来るには時間がなかった。

父との思い出

死ぬのが早すぎる。せめて孫は見せたかった。

ただ、結婚して自立し、家を購入するという節目を見せられて、ある程度は親孝行ができたかな、と思う。

私の人生はまだ少なくとも40年近くはあり、これからの時間を父と何も思い出を作れないというのは寂しい。そして悲し事に私の記憶は衰える一方で、記録としても時代背景的に大したものはないので、父との思い出も薄れていく一方である。

そのため、せめてここに記しておく事にする。

幼少期

自分の記憶力が悪いため、幼少期の記憶は全くと言っていいほどない。3歳ごろから何の理由かファミコンを買ってくれたようで、これがなかったらゲーム好きにはならなかったと思う。

今思うとおそらくは他より高い、少し遠い幼稚園に入れるなど、それなりに自分にお金をかけようとしてくれたのかもしれない。貧乏なのに。

小学生

家のローンと借金が辛く、旅行をしたり外食したりした思い出は全くと言っていいほど無いけど、私の我儘に付き合って新幹線に乗せてくれた思い出がある。

他には骨折した時に看病してくれたり、料理の下手な母親に代わってよく料理してくれた。これがとても美味しくて、特に中華が上手かった。私も料理は好きだが、父に倣って今後も腕を鍛えていきたい。

タクシー運転手になる前は電気工事士で、何かとDIYが得意だった。父と作る夏休みの自由研究は同級生にも好評で、少し誇らしかった。何を作ったか全ては思い出せないが、自動販売機のコインを識別する仕組みを考えて作ったのは良い思い出である。

一つだけ大きな遺恨を残す事件があった。当時私は貯金が趣味で小学生にしては珍しく50万近くを貯め込んでいた。物欲などを極力抑えてお年玉とお小遣いを貯金してここまで貯めていた。父親が借金返済に困り、勝手にこのお金を使ってしまい、それを自分が見つけて大喧嘩になった。最終的には返してもらったが、これのせいで関係は悪くなった。

中学生〜高校生

あまり勉学には口出しをしない方針だったらしく、その点母親はうるさかったので、そこは助かった。

中学生ともなると、特に話すこともない。前述の事件もあり、関係はまずまずと言った感じで特段仲は良くはなかった。

大学生〜社会人

特筆することは無いが、大学院受験合格の際は喜んでくれたように思う。

社会人になってからはちょくちょく気にかけてくれてはいたが、私としては順調だったし、お金に困ってはいなかったので、特に心配はされなかった。父もローン返済が終わり、体はどんどん衰えていったが、大きな心配事はなかった様子だった。

その他

もうほとんど朧げだが、他にも色々ある。

今は亡くなってしまった伯父と三人で釣りに行ったり。

パチンコに夢中になって帰ってこなかった時があって、母親と探しに行ったり。

近所のスーパーの屋上駐車場でバック駐車の運転練習に付き合ってくれたり。

原付のメンテに付き合ってくれたり。

しょうもない思い出も多いけど、今では色々感謝している。素晴らしい親とは言えないかもしれないけど、少なくとも反面教師として私に色々と教えてくれたし、私にはないスキルも多い。どの程度かは分からないけど、愛情はかけてもらったと思う。

今後はますます父の事や父から学んだことは忘れていってしまうかもしれないけど、私は私で良い家庭や人間関係を築いて行こうと思う。

ありがとう、父さん。